

ドラッカーマネジメント勉強会(ZOOM)「経営の真髄」第16章 公的機関における企業家精神 5月22日(土)16:00より開催します
公的機関というものは、人々にとっての「善」という非常に大きなミッションのために活動しているがゆえに、費用対効果や実効性というものが聖域になってしまっている場合が多い。 経済活動の場合は、成果が収益として表現できるので、「儲からなければ止める」「利益がでなければ継続できない」ということで、成果があがらない事業は自然に消滅し、成果の上がる事業にとって代わるという自然浄化作業とイノベーションが自律的に行われます。 一方で、公的機関の仕事というのは、社会にとっての「善」を行うがゆえに、「善」という大義のもとに成果というものが明確に定義されていない場合が多く、旧態依然で続けられている場合が多い。 経済活動は利益の最大化ということに具体的に取組むことは可能であるが、「善」の最大化ということは現実的に難しい。「善」も大きければ大きいほうがいいに決まっているが、人が資源を活用して行う事業には違いないので、どこまでその「善」を追求するのかしっかりと目標を設定しなければ、永遠に実現できない資源浪費の事業になりかねない。 次回の勉強会では、本文のなかでの以下のくだりに


政党を越えた大局的な議論
第15章政府機関の再生では、政治的な判断や大きな組織の舵取りについて議論しました。 長年続いている与党と野党の論争は、与党の提案に対して野党が各論で反対意見を唱え、押し切られたうえで良い結果がでなければ、与党の責任として決定権のある総理大臣の辞任を要求するというパターンになっているように感じます。 個人や組織の怠慢が原因であれば、その個人や組織の責任者を辞めさせるというのもいたし方ないと思いますが、例えばコロナ対策のように現状や原因が十分把握できていない状況で、緊急事態で判断しなければならない場合にうまくゆかなければ辞めさせていれば、だれもやる人はいなくなってしまいます。今回の章にも出てきたように、現状を把握しながら、継続的にベンチマークして改善活動をやり続けるということが一番大切ではないでしょうか。過去に自民党から民主党(現在の立憲民主党)が政権を取り、いろいろ新しいチャレンジをしましたが、「寝た子を起こす」ような混乱を引き起こし、今まで以上にややこしくしてしまったような案件もあります。誰がやっても結果はそれほど大きく変わるものではありません。