

知識労働と肉体労働
6月22日の勉強会では、昔の労働組合とか労働者についての話から、最近の非正規社員や大企業のアウトソースという名目での下請けの多重構造について考えました。 そんななかで、知識労働と肉体労働についての気付きがありました。 ドラッカーの言う「知識労働者」と「肉体労働者」という和訳の表現より、「知識集約型労働者」と「労働集約型労働者」の方がしっくりくるように思います。 知識集型労働の成果は、何を事業とするかもふくめて青天井であり、無限の可能性と創造性に委ねられている。 一方で、労働集約型労働では、仕事は細かく刻まれて標準化されているので、労働力の投入に比例した成果となる。この作業を行う人は、労働主役型労働者であるが、この比例の角度上げて少ない労働投入でより大きな成果をあげるマネジメントができる人は「知識集約型労働者」といえる。 例えば寿司屋の場合、今後二極が進むと考えられる。 コロナ禍で三密を避けるか、徹底的な感染症対策により、回転ずしはDX化によりますます人の仕事を減らし収益を上げている事例がみられる。具体的な事例はまだ知らないが、おそらくその逆に限ら


ドラッカーマネジメント勉強会(ZOOM)「経営の真髄」第17章 仕事と人 6月26日(土)16:00より開催します
仕事は人の外にあり、働くことは人の中にあるので、仕事と働くことは別々に考える。 成果が上がるように仕事を設計して、その設計した仕事に相応しい人が任命され働くことで成果があがる。ということは今までの勉強会でも学んできました。 今回は少し視点を変えて、働く人の断絶について考えたいと思います。 前世紀では、テイラーの科学的課業管理という理論によって、高度な知識労働と肉体労働か組み合わさった職人技を単純作業に分解して、だれでも分業で高い生産性を実現することができました。 その結果、匠といわれる職人が不要になり、未熟練者でも高い生産性を実現できる肉体労働者がふえ、未熟練でもそれなりの賃金を得ることができてある程度高い生活水準を得ることができました。結果として肉体労働者も中流階級として日本国民のマジョリティになり、国民としての一体感もでき、犯罪も少なく、サザエさんの漫画のような平凡ではありますが幸せな社会が成り立っていたように思います。 その後今世紀に入り、企業がさらに収益を増やすために、コストダウンと生産性を上げるために、子会社への業務移管やアウトソーシン


企業家精神を活用して「善」を行う
「善行」にも具体的な成果が必要 5月22日は、「善」にいかに取り組むべきか、「善」に企業家精神は活用できるのかということを議論しました。 「善」を行うことを否定することはできませんが、かといって「善」を行うという大義を振りかざしてやみくもに資源をつぎ込むことは、特にこれからの持続可能な社会を目指す考えにも反します。持てる資源に限りがあるために、「善」を行うにおいても当然ながら制約を受けることになります。 経営の真髄 第16章のまとめのところの「ミッションを明らかにする、達成可能なゴールを設定する、何度試みても達成できないゴールは変更する」がやはり判断の拠りどころとなるように思います。 「善」を行う場合、たいていの場合はミッションは明らかにされているはずですが、ゴールの設定と、成果が上がらないときに中止することが難しいのが一番の問題ではないでしょうか。そこで、これから取り組む「善」をより具体的で実現可能な「善」に置き換えてやってみる。実現できれば次の実現可能な「善」に取組む。実現できなければ見直す。大きな大義は、ミッションとして抱えながら、短期的に